Review “Like someone in Love”, 2001

毛内やすはる

その日、ギャラリーの白い空間は銀色に輝く絵画作品で構成されていた。作品は大きいものが左右の壁に、中くらいのものが正面に二つ、小さいものが一つ扉側の壁面にあり、それらのすべてが壁にぴったりと貼り付くように設営されていた。作品はギャラリーの窓からの自然光を柔らかく反射させ、そしてその表面が持つ垂直の帯の連なりは、置かれたすべてに共通し、それらが四方の壁に展開することで、僕の周りをカーテンのように囲い込んでいた。

堀田真作の個展ははじめてではない。これより前の二回の個展を見ている。しかし今回の this is gallery では初となる掲示は、以前より整然とした印象を与えている。作品のタイプを限定したことにその第一の要因があるが、そしてそのことで作品は僕にとって、いままでの彼の個展では見られなかった強度を持つものとして感じられるように迫ってきた。
作品はアルミニウムを素材としており、木枠に釘でとめられキャンバスに描かれた従来的な形式の絵画ではない。平面の内部はアルミニウムの基盤に同素材の垂直の細い板が帯になって横に連なり、その上にシルバーの金属塗料による筆触が二〜三層ほど薄くヴェール状に描かれている。しかも対になった一組の作品では、垂直の板は一枚を飛んで相手の平面の中の一枚と互い違いに交換され、それゆえ隣り合った二つの平面どうしは筆触を互いに交換し合い、一つの作品の中に自らの要素ともう一枚の要素を半分ずつ持つという相関関係が生じている。

今回の展示では一つを除いてすべてが、対の構造をもつ作品で、それぞれの壁面に一対ずつが対応している。そして作品同士が相関関係をもつことを知ると、とたんに僕の眼は対になった二つの平面の間を行き来し始める。板の線垂直に並び、筆触が隣の平面に移されることで、それを見る目線は、筆触自体のつながりを探そうとして隣の平面に眼を移し、そして隣の平面に描かれた筆触をまた戻って探そうとするのである。そこでは絵画(筆触)の解体と再構成が行われているわけだが、しかし次第に視覚は徐々に二つの平面を一緒に見るという行為に行き着き、僕は二つの平面を同時に眺めようと視野を広げていく。そしてそうすることで、僕は一連となった作品を眺めているという感覚から、平面の左右に絵画がスライドしていくような感覚を得るようになっていく。

このような感覚を与える絵画空間の構成は意図したものだと思われるが、今回の掲示でこの効果はストレートに伝わるものになっている。しかし、ギャラリーに差し込む自然光が作品に反射することで筆触を時に目立たせまた時に消し去り、アルミニウムの銀色の素材感を強調したり輝かせることも、その効果に複雑な変化をさらに与える一つの要因になっている。自然光が筆触の流れとアルミニウムの地との関連を軽やかにもち、絵画と外の世界とを結びつける。そして自然光、資材、筆触のそれぞれが関連し合うベースとして絵画は機能し、光の反射で絵画の内部は表情を変える。そしてこのスライドしてゆく感覚と、光が生み出す微妙な変化が相俟って、絵画がまるで空間に溶け込んでゆく感覚に陥らせ、僕に不思議な抑揚感を与えるのである。
注意しないで見ると堀田真作の作品は単なるアルミニウムの板の連なりに見えてしまう。しかしその絵画の中では実はさまざまな相転移が行われているのであり、そこにあるのは絵画の解体・再構築と光との関連を経て到達した、絵画が周囲の世界に浸透していくような感覚である。もちろん今回の個展を経て、彼の絵画はさらに展開してゆくだろうと思う。しかしその相転移は今回シンプルに提示され、ひとつの極点を見せたのではないだろうか。