Lecture “The journey is the reward”,1998 (Japanese)

「人は見たものを信じるのではなく、信じたものを観る。私の絵画を見る者は、絵画のなかに具体的なイメージを見いだそうとする。しかしそうして見いだされた具象的なイメージは、見る者の心の投影なのである。絵画が具象的なのではなく、見る者のこころが求めたイメージが私の絵画の上に現れるのである」

「多くの日本人の子どもと同じように、夕方に小学校から帰って外へ遊びに行く前、30分間の時代劇のTVプログラムを見て育った。それは僕にとって一種のファンタジーであった。20歳を少し過ぎた頃、僕はトヨタ(*1)から少し離れたところの小さな農村に滞在する機会があり、そのとき抱えた制作上の問題を考えながら田んぼのわきのあぜ道を散歩していた。秋の天気の良い日で、夕方の日の光が刈り取られた稲の株をやわらかく照らしていた。僕は歩いていた。3人の子どもが勢いよく走って僕を追い越していく。彼らはほとんど裸同然の薄着で、手に木で出来た黒い剣を持っていた。少し離れたところでその3人はくるりと向きを変えチャンバラ(*2)を始めた。子どもたちを呼ぶ声に背後を振り返ると、祭りの為の演武を教えていたのであろう着物を着た若い男性が、優しく叱って練習に呼び戻そうとしていた。そしてふたたび前を振り返った僕は絶句した。『なんてことだ。これは400年前の日本だ。これが歴史なんだ。自分にはここにつながる歴史が欠落している。ヨーロッパの絵画を学んでも借り物でしかないと悩む自分は、日本の歴史にもリアルにつながっていない。この僕は誰なんだ!』叫び出したいような恐怖に襲われ、倒れてしまわないように膝に手をあて、かろうじてしゃがみ込まずに踏みとどまった。地面が醜く歪んで見えた。この時の感覚は永く僕を苦しめた。」

注*1トヨタ:京都と東京のあいだに位置する都市。中心部は自動車産業で栄える地方都市だが、愛知万博で開発された近年まで、古い文化を残した静かな農村地帯が広がっていた。

注*2チャンバラ:ちゃんばら、ちゃんばらごっこ。サムライなどの剣での闘いを模した子どもたちの遊び